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2007年7月

]魔法少女リリカルなのはStrikerS 17話 『その日、機動六課(後編)』

今回の17話の印象は、これまでほとんど画面に出してこなかった「血の赤」の大量投入が決定づけていたように思う。16話段階では目立たなかった炎上の炎の赤とくわえて、画面がほとんど常時赤い。
こういうメリハリをつけた一極投入は、やっぱり豪華で興奮する。ひょっとしたら、もう26話終了まで二度とやらないのかも。

前半で機動六課の無敵ぶりを打ち出してきただけに、六課陥落はさすがにショッキング。
あと、フェイトへのババの引かせかたもすごい。
個人的に、前作Asでは、「フェイトとなのはは戦ったら互角くらい」という印象だった。
それが、『Strikers』では、なのはのティアナに対する厳しさとフェイトのエリオに対する甘さの対比、そしてヴィヴィオへの対応のちがいがはっきり打ち出された。19歳のなのはは厳しい父性的なやさしさ、フェイトが母性的な”やさしい”女の子として成長したという対比だ。
(異論あるかたもおられると思いますが、8話のアレはどう見ても母性というより父性だと思います。)
おかげで、フェイトとナンバース2人の戦いで、フェイトが無傷で相手を逃がしてしまったことが「やさしさのせい」に見えて、がっかり感はなかった。
今回の17話終了段階で、観客的に、男の子アタマでの戦闘での強さ比べに決着はついている気がする。「魔法使いとしての技量は互角でも、真剣勝負になったら、フェイトはなのはほど厳しくなれなさそう」というあたりで。

肝心のガチ戦闘回である今回、なのはさんが空気だったことは、本当にうまいなと思う。
実際、『Strikers』では、これまでなのはの印象をとても大切にしている。
けれど、今回は「なのはさんが活躍してはいけない」展開だった。
なぜかというと、スバルの戦闘機人としての覚醒展開がムダになってしまうため。
17話で一番ショッキングなシーンは、ギンガが倒されて回収されたシーンだとして間違いない。
これを今回のクライマックスであるスバルの覚醒へとつないで、17話全体の軸としている。(だから、これだけ情報量の多い話でも、ギンガの登場は17話序盤でないといけなかった)
「機動六課は敗北して、たいせつなものが傷つけられ奪われた」という、17話全体の内容は、スバルの流れを追いかけるだけで読み取れる構造になっている。
六課の敗北展開自体、スバルのところの展開を一回りスケールアップしている構造なのだ(実際ヴィヴィオが奪われている)。ここの情報整理が崩れたら、ナンバーズが山ほど出てきているので、物語自体が相当ガチャガチャして見にくいものになったはずだ。
だから”覚醒したスバルを、素で殴り倒せそうな人”であるなのはは、絶対に17話で目立ってはいけなかった。
観客の目が、17話の中心であるスバルからぶれてしまうからだ。

可能性としては、なのはに活躍させる流れもありえたかもしれない。実際に、おもちゃの販促性が強い物語では、「どんなに脇キャラがいい味を出している物語でも、敵へトドメを刺すのは主役メカのバンク必殺技」ということがけっこうある。
だが、すくなくともそういう展開は、同じ方向の情報を一極集中して、ヤマを大きくしている『なのはStrikers』のリズムに合っていないように思う。

同じ傾向の情報の一極集中する、情報の引き算的なメリハリ作りは今回の17話でも健在。
今回引き算されたのは「スバルのマッハキャリバーの2ndモード以降」、他新人たちの限定解除されつつあるデバイスの実戦での見せ場。あとは「結局レジアス中将って今回なにがしたかったの?」「アインヘリヤルって何」というあたりが、まったく語られなかったこと。
こういう、見せ場を割り切ってストックする選択センスは、本当にすごいと思う。

今回、なのはが空気だったことは、もうひとつ重要な意味があったのだと思う。
新人たちがティアナ以外全員実質敗北、フェイトまでが翻弄された展開のおかげで「それでもなのはさんならなんとかしてくれる」と、なんとなく観客に期待を持たせていることだ。
この期待感を、なのはさんが何かしてではなく、なのはが何もしない(温存する)ことで作っているのが、物語を整理するセンスなのだなと思う。
ティアナをなのはに運搬させて、新人たちの敗北無間地獄の枠外にティアナを置いたのもさすがだ。ティアナは8~9話で大きいのをやっているので、二度目の大敗北をわざわざここで重ねる必要はない。
この展開の中、機動六課の頼りがいを一身に背負うなのはと一緒にいることで、「これからどん底だろうスバルを、ティアナがなんとかしてくれる」ような期待が持てる。
なのはの物語作りは、細かいところで本当にうまいと思う。

ギンガの退場は、戦闘シーンもほぼカットされて、まさにこのために出てきた感じ。ただ、まさか16話では姿を見た覚えがない(いたのかも)ギンガを、何事もなかったように17話はじめで”交戦中”にしてしまうとは思いませんでした。[7/29:ROMの人さんよりコメントいただき追記。戦闘展開になってから姿が見えなかっただけで、16話に2カット登場していたそうです。感謝]
情報の出し入れとしては、「タイプゼロ=スバル」という印象を観客に前もって植え付けられたので、16話ではギンガを出さなくてたぶん正解。(「タイプゼロが2体」ってギンガを合わせてだったのかと、17話を見てから気づいた)
そして、ギンガ退場の展開が17話の物語に絶対必要だったせいで、反則スレスレっぽく感じないところもうまい。陸士部隊のギンガが地上本部にいることは不思議ではないと、考えてみれば納得感もある。

予想外というか驚きだった点は、もうひとつあった。
展開はハードなのに、ギンガ以外、ひとりも脱落者を出さずに済ませてしまったことだ。
ギンガは死亡していても今後のスバルのドラマに大きく関わってくるので、物語的には死んでいない(実質キャラクタは減っていない)とも言える。
最低でもひとりかふたりナンバーズを削ってくると思っていただけに、本当に驚き。実際、これまでもいい加減、『Strikers』はキャラクターが飽和状態だった。しっくり行くようになってきたのは、15話くらいまでかけてのことだ。
これが17話でとうとう、「名前を持たない、人間ではなくお人形」だと思っていたナンバーズが姉妹同士で会話をはじめた。しかもそれぞれ姉妹としてお互いを気遣いあい、ナンバーズもまるで疑似家族のようである。

まさか『Strikers』スタッフは、ストーリーが2/3終わったこの期におよんで12人も新キャラを覚えろとおっしゃるか
『Strikers』、いろいろ冒険的で好きなのですが、キャラクタの多さだけはどうにかならないものかと。17話はとても楽しんで鑑賞したのだけれど、この点にだけは戦慄した。
よほどいい着地点を考えているのか、ここをどうおさめてシリーズを終えるのか、楽しみが増えたともいえる。

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魔法少女リリカルなのはStrikerS 第16話 「その日、機動六課(前編)」

実は、16話は、状況の全体構図としては、7話『ホテル・アグスタ』に酷似している。

  1. 機動六課による護衛任務だが、護衛対象と六課に協力関係がない
  2. 強力無比な隊長陣は建物内部にいて、初期段階では動けない。
  3. 敵の正体と目的が不明。
  4. 第一撃が、完全な奇襲である。
  5. 物語としても、新キャラの登場話にあたり、いい見せ場をあげる意味でも初撃がやられ放題である。

7話に似ているだけに、新人4人の成長がよく見える第16話になっていた。
普通に物語構成を考えると、ナンバーズの登場話数を散らすのだろうだけれど、それでもあえて16~17話の展開に12人全員ぶちこむ様子なのが『なのは』らしい。
男らしすぎる構成である。

こんなにせっぱ詰まった状況でも、純粋な前置きにAパートを使うところが『リリカルなのは』らしい。
ナンバースの武器はそれぞれ相当多彩な模様。せっぱ詰まった話数で突然大量に出すだけに、武器シルエットをかぶらせないようにしているようだ。

そしておそろしいことに、現状出てきた感じを見ると、突然に大量出現したナンバーズはどうも全員女の子っぽい。なぜ? 男の戦闘機人を入れちゃいけない理由が明確になっていないのに。
構成やキャラ配置が、いろいろ男らしすぎます。

『なのは』の物語を作っている思想は、相当に男らしい。けれど、たぶん『なのは』の物語を考えるとき、この設計思想の男らしさが引っかかってくる部分もある。
実は、なのはのような男性客向きだけれど女性キャラだけで成り立つ物語では、男性キャラの置き場がシビアに問われる。
お客さんが男性なので、男性の目はどこかにはかならずあるからである。主要キャラクタが女性ばかりであるからといって、観客が自分の目を女性視点に切り替えることなどできない。基本的には、感情移入や理解ができるキャラクタがひとりもいなくても、観客は男性視点を引きずるのである。そして、娯楽作品における”物語”とはお客さんのものである以上、これを無視することはできない。
『Strikers』では男性がまったくいない家族をつくった。ここには、男性が男性らしさを発揮できる居場所はない。
だから、『Strikers』から『なのは』に入ったお客さんが乗りにくいというのは、理屈的には正しい。

なのはスタッフが、一作目の『なのは』を女性ばかりの世界にしたのは、たぶん『リリカルなのは』シリーズが元々、第二次性徴前の小学生を主役に動いていたからだ。
3作目までくると、なのはが十九歳になった。前2作なしで『リリカルなのはStrikers』が単発の物語としてはじまっていたなら、きっとキャラクタ配置は、こんな女性だらけにはならなかった。男性観客が視点を置くための男性キャラクタを、どこかには配置したはずだ。
もしくは、女性だらけの配置にするなら、もっと「女の子」を前面に打ち出した物語作りをしたはずだ。
そのあたりのひずみがどこに出ているかというと、まさに”ナンバーズ”の皆さんだ。
つまるところ、ナンバーズの個々のキャラクタに対して、まったく感情移入も応援も「こいつだけでも助かってほしいなあ」という感情もわかないのである。
女性キャラクタが多すぎて、かつ男性のお客さんにとっての目の置き所がないから、「特定キャラクタをひいきにする」こともむずかしい。だから、女性キャラ自体の価値がいつのまにか暴落しているのだ。

主役の年齢を動かすことは、物語のテーマとのかねあいを考えると、予期しない問題を抱えこむ危険をのむということだ。
たぶん、19歳なのはではなく、9歳なのはのままなら、物語はもっとやさしく進んだと思う。その中で、ナンバースにも、全員助かるのはやりすぎにしろ何人かとは話ができて、何人かは新しい道をさぐれたはずだ。

なのはさんが、8話以降ネタキャラ気味ではあるので、どこかしかに男性客がとっつける場所をつくってくれると、個人的にはうれしい。

あと、16話のひそかなチェックポイントは、今回ギンガが出てこなかったことだと思う。
26話全体のラインを妥当に考えたとき、”家族”というメインテーマを引っ張るべきキャラクタは、ヴィヴィオではない。なのはであり、そしてスバルだ。
スバルは、1話から出て、なのはを追いかけて成長してきたキャラクターだ。だから、流れ的に言うと、スバルが「”家族”がからんだ試練」に出会わないと物語のまとまりが悪くなるのだ。

16~17話を逃すと、スバルがらみの設定とドラマが、『Strikers』の主線である”家族”につながる機会を失する気がする。
だからこそ、ギンガが今回の16話に出てこないのが、ちょっと引っかかる感じではあります。もっとも、ナンバースの中に、すでにギンガがまぎれこんでるかもしれないわけではありますが。
このあたりどうなっているかは、17話を見てみないとわからないのですが、最後の「タイプゼロ」の設定に触れたのが目くらましで、スバルで17話の設定開示ではなく”ドラマ”を動かすのなら、うまい隠しかただなとは思います。

なぜこんなふうに細かいところをほじるような書きかたをしているかというと、どうも『Strikers』は、大きい流れを大切にして細部はすっ飛ばす構えに出てきたように見えたため。
別に触れなくてもいいかとも思ったのだけれど、8話あたりの感想や考察で触れたので、大きな話が動き出す前にエントリに書いておくことにしました。
1話ずつ見て1話ずつ感想を書いてゆくのは、昔の予想や考えたことが、実際の話数でどう当たったり外れたりしているかが見えてとても楽しいですね。
こうやって入り込んで作品を見れることは、感想blogを書いている役得だと思います。

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魔法少女リリカルなのはStrikerS 15話「Sisters & Daughters」

嵐の前の静けさの回。

シナリオでよく使われる三幕構成の理屈どおりだと、続く16話~17話ないしそこからはじまる一連の展開が第2幕のクライマックスになる。
(三幕構成は簡単に言うと、全分量を3つに割って整理するという手法。このblogだと12話のエントリですこし触れてます。)
物語全量での統一感を考えると、ここからの展開はスバルに相当きついものになりそうだ。

もしも今回の襲撃でギンガをリタイアさせる(ないし裏切らせる)つもりなら、12話~15話までの前フリの打ち方は素晴らしいと思う。

クライマックスに入ってきたら改めてまとめるつもりだけれど、『Strikers』では、戦闘シーンのシチュエーションに前話までとかぶりがないように考えられている
15話で、ギンガとスバルの模擬戦を戦闘シーンとして持ってきた。これは、物語的に盛り上がる位置として見事にワンチャンスをとらえたと思う。戦闘機人とスバルの母関連の話がなければドラマにからまなかったし、16話以降、訓練目的の(ドラマ的に色がついていない)模擬戦をやる余裕はもうなくなるはずだからだ。

このblogの感想では何度も書いていることだが、本当に『Strikers』は全26話の話の全体を見ながら一話一話を進めているのだと思う。
これも、全26話を全部見たあと、あらためてまとめることになりそうだ。実は、ここまでの戦闘シチュエーションの推移はある程度まとめたテキストを書いてみた(近いうちにアップします)のだけれど、列挙してみるととても面白い。
ただ、流れを考えてみて、15話時点まででも気づく部分はある。それは、普通の物語でなら、次の16話からはじまる展開のほうを、12話~13話のヤマ場に持ってきていたはずだということである。
この切れ目のヤマ場に「ヴィヴィオという新しい家族との出会い」「広がる人間関係の輪」という”あかるい話・しあわせな話”を持ってきたあたりが、なのは”らしさ”だと思うのだ。
なのはスタッフの物語における”らしさ”の打ち出しは、本当にセンスがいい。

ただ、「前線メンバーと”本気”のなのはの実力差」がまったく見えない問題は、まだ残っている。

キャラクタ間の実力差は、物語の流れを考えるとき問題にならないよという考え方もある。戦闘における実力序列は、週間少年ジャンプのバトルもの漫画がはっきり示しているように、あってもあまり意味のないものだからだ。
たしかに、男性のお客さんは「誰は誰より強い」的な序列づけが、私自身もふくえて非常にすきだ。けれど、物語はたいていその序列に不誠実だ。
物語がそれを求めるなら、強敵でもたいがいは「バカな、こんなことが!」で吹っ飛ばして問題ないのだ。実際、物語が実力序列に忠実すぎると、物語が気持ちよくなくなって観客もこまる。

それでも、『Strikers』の場合は、実力差問題がけっこう大きな位置を占めている。
言うまでもなく、『Strikers』は、主人公であるなのはが、後輩たちを指導する立場にいる物語だからだ。
主人公が底辺にいてのしあがってゆく物語では、実力差とは最終的につぶされるためにある。だが、立場がある人物を主人公にする場合はちがう。立場や実力とはまさに主人公が歩んできた結果であり、それを否定することは、この道のりを否定することだからだ。

さらに、ナンバーズ側にキャラクタがおそらく10人以上いることが、課題を非常にむずかしいものにしている。
なにがむずかしいというと、この数は、ナンバーズの中での実力序列がはげしいことを意味しているからだ。
これだけ数がいれば、普通に考えれば、ナンバース以外の敵がまだ後ろに多数ひかえているとは考えにくい。つまり、スバルたちもなのはたちも、両方がナンバースと戦うということだ。
「スバルたち前線メンバーが戦えるレベル」と、「本気の隊長格と打ち合えるレベル」と、ナンバーズの中で実力格差がある可能性が高いと思う。
そして、この”格差”こそ、『Strikers』の物語が明確なかたちでは絵にしてこなかったものなのだ。
(8話の”アレ”ですら、9話の話では手加減していたそうだ。なのはと前線メンバーには、どれほど実力差があるのだろう。)

この格差を、物語上でどうやって画面に出すつもりなのだろうかと考えると、これは楽しみでならない。

11話~12話で4人程度の顔見せしかできなかったものを、たぶん16話からの展開では、倍以上の人数を動かして物語にひとつのケリをつけることになる。
全26話中の16~17話(全量の2/3を消化)という話数では、たぶん解決丸投げがそろそろ厳しい。先に送ったら、後ろがつかえている以上しんどくなる一方なのである。
物語のかたちによっては丸投げも十分あり得るのだけれど、『リリカルなのは』らしくはない。『リリカルなのは』は、おさまりのいい物語を描いてきているからだ。

楽しみのポイントは、個人的にはもう一つある。
『なのはStrikers』の物語は、ヴィヴィオの登場となのはたちを母親にしたことで、物語の軸線を一本増やした
けれど、決定的な物語の軸をいじるのは、たいていの物語にとっては致命的な結果をもたらす。最近だと、『グレンラガン』で、ニアにヒロインの軸線が移ったとたんにヨーコの影が薄くなったのがそうだ。『グレンラガン』が失敗したというより、元々からむずかしい挑戦なのである。近いところで顕著なものだと、『コードギアス』のスザクが騎士に叙勲されたあとの展開もそうだ。
軸線をいじれば、表面にすぐあらわれるかはともかく、物語は元のままではいられない

職人技を発揮して整理するのか、それとも物語的(ドラマ的)な爆発を作って全部押し流してしまうのか。ある意味未曾有の状況になるのはたしかだと思う。
とりあえずひとりの観客としては、「どうなるのかまったく想像もつかない」。

ひょっとしたら残念エントリを書くことになるのかもしれない。
けれど、現状、16話からの展開を心から楽しみにしている。
本当に、ここまで期待がふくらんでいるのはアニメを見ていて久しぶりだ。
『なのはStrikers』が、これからはじまるシナリオ的なヤマ場でなにを見せてくれるのか、本当に楽しみにしている。

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魔法少女リリカルなのはStrikerS 14話 「Mothers&children」

あいかわらずというか、組織まわりの描き方はかなりいい。
今回は、仕事中にヴィヴィオが気になって、彼女のデータを見ているなのはの描出がおもしろい。アニメはどうしても対象年齢層の低いあたりを意識する部分あるけれど、こういうサラリーマンぽい描写をアニメがやるのは、非常にめずらしい。
『なのはStrikers』が中心ターゲット層の一角にはたらいているおとなを強く意識している証左ではないかという気がする。

実際、『なのはStrikers』の物語が、機動六課という”せまい世界”の中で進んでいた理由が、ようやくあきらかになってきた。
つまるところ、家族の物語だからだ。

  1. 家族だから、お父さんとお母さんはちゃんと働いているよ
  2. でも、家の中と外で描く舞台をわけると、物語が二分されるし戦闘シーンをはさみにくくなるよ。
  3. そもそも、「なのは」で描いてる”家族”の物語って、基本的に「愛情にめぐまれない子ども(フェイト・はやて)が、”疑似家族”で救われる物語」だったじゃん。そもそも、『なのは』シリーズは、ちゃんとした家族がいるなのはが、むずかしい話を一切”本当の家族には相談しない”物語だったのだ。
  4. じゃあ、職場(機動六課)を疑似家族にしちゃえ。
  5. 疑似家族にしちゃえば「誰かが死んだら誰かが悲しむ」という納得感が出るから、戦闘の緊迫感もすごいことになるよ。

という感じだったのではないかと、最近感じているのだ。
だから、組織やそこではたらいている”人間の力学”、そして職場の”人間関係”を、かなりの手間をかけて描いているのだと考えると、しっくりくる。家族とは、せまい世界を中心とした”人間関係”だからである。

もっと働いている彼女たちの姿を、序盤から打ち出していけばよかったんじゃないかとは思う。

とはいえ、世間がせまいと、序盤がまさにそうだったように、まわりが味方だらけで物語がぬるくなってしまう
さすがスタッフは、そのあたりをよく把握していたようだ。
12話~14話に入って機動六課を取り巻く状況をシビアにすることで、一気にバランスがとられた。

  • レジアス中将をここに来て強力な敵として打ち出したこと(14話)
  • スバルの母親をからめることによって「任務中に死人が出る可能性」をほのめかしたこと(14話)
  • 機動六課が実は孤立無援であることをはっきりさせたこと(13話・14話)
  • スカリエッティの正体について、いまだに手がかりもろくに出していない(身近にスカリエッティがひそんでいる可能性を提示している)こと(14話)
  • 主要な敵を、まだ退場させていないこと。つまり、散発的な攻撃をさせると勝負になり、勝敗がついてしまう。だから、戦闘シーン自体を絞って勝負自体を起こさせないようにしている(緊迫感を保留している)こと(12話)

この「組織ひとつを疑似家族にしてしまう」という構造は、ドラマ的にも大きく寄与しはじめた。
機動六課というちいさな世界を、過度に家族的に描いていることによって、「家族のすぐそばに敵が忍び込んでいる」という状態を作っているからだ。

『なのはStrikers』は、全26話中の1/3以上にあたる9話まで、ひたすら機動六課というせまい世界ばかりを描いてきた。
ここで”機動六課という疑似家族”がどこまでなのかという線が明確になった。つまり裏を返すと、”その枠の中にはいらない外側”も明確になった。
だから、これから後半の物語のキーキャラクターになるヴィヴィオは、「本格登場した13話から14話までという超ハイペースでも、機動六課の”内側”の枠に明確に入れておく」必要があった。

今回の14話の物語主線は、なのはとフェイトの朝の目覚めからはじまって、疑似家族である機動六課の面々の進歩と状況の進行をじっくりと追いかけながら、ヴィヴィオが”家族”になって締まる話。情報自体はたくさん入っているけれど、物語主線にぶれはないから、多少煩雑でもきちんと読み取れる。
次の話へ向かって投げているヒキも、やはり”家族”の話であるナカジマ家の母親の死についてのエピソード。
なのはスタッフの、あまりしつこくせずにテーマを統一するセンスは、本当にすばらしいと思う。

『なのはStrikers』の物語は、どこを切っても機動六課の身内ばかりである。
逆に、六課の身内でないものは、六課メンバーに致命的な被害をおよぼす現状の敵である。
そして前述したように、①敵の手の内も実力もわからず、②敵がどこにひそんでいるかもわからず、③戦いは人死にが出る可能性のあるものである。
つまり、我々がふだん目にする物語の常識になおすと、常に家族の誰かに死亡フラグが立っているという状態になる。
この万年死亡フラグ状態が、現在の『なのはStrikers』にとっては、トップスピードではなく巡航速度なのだ。
「家族」や「友だち」というせまい世界にドラマの中心が常にあった『リリカルなのは』シリーズらしい、本当に”らしい”選択だと思う。

11話以降の展開を見ていると、本当に『なのはStrikers』は、26話の全体構成をきっちり考えて作っているのだなと思う。
冷静に考えて、「初回あたりから出ていたスバルの母親の死亡エピソードが、14話にようやくあきらかになりはじめる」ペース配分は、そうでないとおかしい。
そもそも7話までの序盤は、ほかに描くことがあったどころか、全然ドラマチックなことが起こらなくてスカスカだったのである。

シーンや展開のキメ止まりをあげて「同じ展開をシリーズ上で一度しか作らない」よう、26話全量での物語整理が行われている。
ほかにも、1話あたりの情報密度をあげたり、社会のややこしい話を盛り込んだり、1話あたりでまったく話が完結しなかったりと、リリカルなのはという枠がゆるす範囲でいろんなことを試している。
割り切って、低年齢層のお客さんが嫌いそうなことを片っ端からやっている印象だ。

3作目を作るにあたって、対象とするお客さん層を広げるのではなく、すでにいるお客さんのほうを重視したのだなとつくづく思う。
同じことを三度やると、お客さんは飽きるものだ。けれど、新規のお客さんへ向けてアピールするなら『リリカルなのは』シリーズの一番強いかたちである従来のかたちのほうがいい。
ふたつのうちどちらを取るかを考えて、『Strikers』のスタッフは飽きられないほうを選んだのだと思うのである。

”友だち”から”家族”へ。
そのシフトが意味しているのは、そういう早め早めに手を打った挑戦だったのではないかと思うのだ。

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天元突破グレンラガン 14話「皆さん、ごきげんよう」

今回、どうしようもなくネガティブな感想になってしまったので、14話にネガティブな感想を持たれた方以外は、たぶん読まないほうがいいエントリになっております。すみません。

脚本がダメだと全部がくずれるということを、脱力感とともに思い知った14話。
なんだこれと思っていたら、脚本は悪夢の第4話と同じ山口宏氏でした。

wikipediaで調べてみると好きな作品もあったりして(『メロウリンク』『ゲートキーパーズ』『アキハバラ電脳組』は好き)、よっぽどグレンラガンと相性が悪いのかと、複雑な気分。
ロージェノムの城が回転?(このあたりもよくわからなかった)しはじめて、そこに向かって新しくあらわれたキャラクタたちが特攻して死亡したシーン。
あれだけはせめて他のスタッフが止められなかったのかと、悲しくなった。

グレンラガンは、カミナの死という”たったひとつの死”をキーにして回った物語だった。
だから他の脚本スタッフは、獣人は殺しても人間を殺さなかった
こんなに軽く人死にを扱っては絶対にいけない物語なはずだったのだ。

直後の、無謀な特攻を止めたニアの立体投影にしても、前フリがまったくない。
それ以前に、「シモンたちがどういう気持ちでロージェノムの城にいどむ」のか、よくわからない。14話の中で行ったドラマ的な前フリが、アニキの墓参りだけだからだ。
「だいたいそういう話の流れだからわかるでしょ」というのも、直前の12話は水着回で13話はニアのお料理話と、軽めの話が2話続いた直後なのである。14話のような戦闘だらけの話をして盛り上がるのは、13話を決戦直前の様子を描く前フリに使って”ため”を作れた場合だけではないだろうか?

すくなくともこの戦いは、カミナの敵討ちという単純な要素に収束できるものではなかったはずなのだ。大グレン団の旗は、そもそもそういうものではなかっただろうか?
グレンラガンは13話まで、シモンの物語、”大グレン団の内側”の話ばかり描いてきた
決戦にはいる14話は、「いかにして大グレン団の物語を、螺旋王たち大きな世界の物語とつなげるか」という、重要な作業が行われるべき、キーになるべき物語だったはずだ。

戦闘シーンにここまで大きく時間を使ったことも、今ひとつわからない。これまでグレンラガンは、戦闘のピンチでお客さんを引きつけてきた物語ではなかったと思う。
ここまでで一番盛り上がった話というと、8話と11話だ。けれど、実は両方とも、物語の一番の盛り上がりはシモンとカミナとニアという”人間”が作っていて、強敵とのメカ戦の決着は必殺技一発で片付けている
四天王のシトマンドラとグアームが両方出てきてピンチですと言われても、そもそも四天王自体、これまでほとんど使い捨てキャラ化していたのだ。観客側にそこに思い入れがあるはずもない。
そもそも、グアームを”ドラマとして活用”したいなら、熱かった11話をお客さんが思い出すように、その対決の中にニアがからんでいるべきではなかっただろうか。

感想を書いてきて、どんどんネガティブになりそうなので、このあたりで。
そもそもエントリをたてなきゃいいとも思いました。けれど、たぶんこのblogのグレンラガンのエントリとの対照物として置いておくべきかという気もしたので立てておきました。
ただネガティブなだけになってしまったので、この14話感想は、不義理ではあるのですが、このblogからトラックバック返しはしないようにしようと思っています。
よそのblogさんから感想巡回されてきたお客さんが、うちを読んでイヤな気分になると申し訳ないので。

ともあれ、15話は立て直されていることを期待しております。

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