カテゴリー「メカものアニメ」の7件の記事

天元突破グレンラガン 14話「皆さん、ごきげんよう」

今回、どうしようもなくネガティブな感想になってしまったので、14話にネガティブな感想を持たれた方以外は、たぶん読まないほうがいいエントリになっております。すみません。

脚本がダメだと全部がくずれるということを、脱力感とともに思い知った14話。
なんだこれと思っていたら、脚本は悪夢の第4話と同じ山口宏氏でした。

wikipediaで調べてみると好きな作品もあったりして(『メロウリンク』『ゲートキーパーズ』『アキハバラ電脳組』は好き)、よっぽどグレンラガンと相性が悪いのかと、複雑な気分。
ロージェノムの城が回転?(このあたりもよくわからなかった)しはじめて、そこに向かって新しくあらわれたキャラクタたちが特攻して死亡したシーン。
あれだけはせめて他のスタッフが止められなかったのかと、悲しくなった。

グレンラガンは、カミナの死という”たったひとつの死”をキーにして回った物語だった。
だから他の脚本スタッフは、獣人は殺しても人間を殺さなかった
こんなに軽く人死にを扱っては絶対にいけない物語なはずだったのだ。

直後の、無謀な特攻を止めたニアの立体投影にしても、前フリがまったくない。
それ以前に、「シモンたちがどういう気持ちでロージェノムの城にいどむ」のか、よくわからない。14話の中で行ったドラマ的な前フリが、アニキの墓参りだけだからだ。
「だいたいそういう話の流れだからわかるでしょ」というのも、直前の12話は水着回で13話はニアのお料理話と、軽めの話が2話続いた直後なのである。14話のような戦闘だらけの話をして盛り上がるのは、13話を決戦直前の様子を描く前フリに使って”ため”を作れた場合だけではないだろうか?

すくなくともこの戦いは、カミナの敵討ちという単純な要素に収束できるものではなかったはずなのだ。大グレン団の旗は、そもそもそういうものではなかっただろうか?
グレンラガンは13話まで、シモンの物語、”大グレン団の内側”の話ばかり描いてきた
決戦にはいる14話は、「いかにして大グレン団の物語を、螺旋王たち大きな世界の物語とつなげるか」という、重要な作業が行われるべき、キーになるべき物語だったはずだ。

戦闘シーンにここまで大きく時間を使ったことも、今ひとつわからない。これまでグレンラガンは、戦闘のピンチでお客さんを引きつけてきた物語ではなかったと思う。
ここまでで一番盛り上がった話というと、8話と11話だ。けれど、実は両方とも、物語の一番の盛り上がりはシモンとカミナとニアという”人間”が作っていて、強敵とのメカ戦の決着は必殺技一発で片付けている
四天王のシトマンドラとグアームが両方出てきてピンチですと言われても、そもそも四天王自体、これまでほとんど使い捨てキャラ化していたのだ。観客側にそこに思い入れがあるはずもない。
そもそも、グアームを”ドラマとして活用”したいなら、熱かった11話をお客さんが思い出すように、その対決の中にニアがからんでいるべきではなかっただろうか。

感想を書いてきて、どんどんネガティブになりそうなので、このあたりで。
そもそもエントリをたてなきゃいいとも思いました。けれど、たぶんこのblogのグレンラガンのエントリとの対照物として置いておくべきかという気もしたので立てておきました。
ただネガティブなだけになってしまったので、この14話感想は、不義理ではあるのですが、このblogからトラックバック返しはしないようにしようと思っています。
よそのblogさんから感想巡回されてきたお客さんが、うちを読んでイヤな気分になると申し訳ないので。

ともあれ、15話は立て直されていることを期待しております。

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アイドルマスタ-ゼノグラシア 12話「ムスペルヘイム」

いつも安定してレベルが高いのだけれど、12話の節目直前回だけに、今回はとんでもなく緊密なドラマで構成されていた。
本当に、今期はいい物語が多いのだけれど、その中でもベストエピソード級のすばらしさ。

『アイドルマスター』の話をするとき、たぶん今のシーズンだと比べて面白いのは『グレンラガン』だと思う。

『アイドルマスター』と『グレンラガン』は、両方、ドラマ中心のメカものアニメーションだ。しかも、おもちゃの販促ではなく、人物のドラマをきわだたせるガジェット(道具)としてメカがある。
けれど、『アイドルマスター』と『グレンラガン』には、おおきな相違点がふたつある。

  • 『アイドルマスター』におけるアイドルたち(特にインベル)が、それ自体”ひとりのキャラクタ”として重要キャラクタの位置にあること。
    現状、『グレンラガン』において、ラガンはそういう立ち位置ではない。あちらは完全に人間のドラマがメインで、本当にラガンは道具扱いだ。
  • 『アイドルマスター』の物語は、たいてい一話で話が終わらない。その話の中で語られたドラマは、たいてい次の話、その次の話と長く引っ張られる。
    『グレンラガン』の物語は、一話で完結する。これは、『アイドルマスター』が深夜放送で年齢層が高いお客さん向け、『グレンラガン』が日曜朝で低年齢のお客さん取り込みも狙っていることもある。

『アイドルマスター』の物語作りは、非常に特徴的だ。
男性向きの物語よりも、少女漫画のほうに近い方法論で動いているためだ。

『アイドルマスター』では、前の話の引きを、思い切りテンションの高い状態で終えて後ろにつなぐ。超高空からヌービアムがインベルを地上へ放り投げた6話の引き、前回(11話)の千早が春香へ銃を向けようとした引きがそうだ。
こういう引きかたは、あまり男性客向きとはされない。男性客が、けっこう間の話を飛ばしてしまうため次の話を見るとは限らないのと、ケリがつかないと尻がむずむずする人が多いからだ。
男性客向きの引きかたの例は、バトルものを思い出してもらえるといい。銃を向けようとしたりぶん投げたりしたところではなく、最後の一撃で敵が吹っ飛んだり倒れたりした「死闘、決着!!」みたいな終わりかたをすることのほうが多いはずだ。

『アイドルマスター』では、前話の引きがすごい状態で終わることから、そこからつなぐとAパート(前半部)からひどく高いテンションで話がはじまるのだ。
あまりたくさんチェックしているわけではないけれど、こんなテンション構成を持っているのは、すくなくとも今期では『アイドルマスター』だけだ。

このつくりにはたぶん裏表として、短所もある。
「今回の物語で、なにを楽しめばいいか」をお客さんが迷わなくてすむように、物語の主題を一本化する必要が出てしまう。
これは、『アイドルマスター』の物語が、たぶん恋愛モノに近い構造を持っているということなのだと思うのだ。
つまり、恋愛モノは、まわりにどんな話があっても「どのキャラクタがどのキャラクタとひっついた」だけを見ていると楽しめる。同じように、「どのマスターがどのアイドルとひっつくか」だけを覚えていれば、アイドルマスターは楽しめる。だから、物語の開始を、前話の引きの位置からスタートしても、お客さんは「このキャラがらみの修羅場から開始か」と、わかりやすい。
逆に、だからこそ『アイドルマスター』の物語は、「マスターとアイドルの関係」というひとつの大きな束に含まれないものを扱うのが至難だ。

あんまりにも素晴らしかったので、今回は、キャプチャボードの機能を使って、だいたいのタイムカウントをとってみた。
CMをカウントしているし、秒数単位では相当いい加減なカウントだ。けれど、12話がどういう構成になっているか、順序と感覚は、面白い感じに出ていると思う。

  1. 1:30 不安の提示の開始。モンデンキントEUの人が、連絡ロスト中のインベルについて、「やられましたかね」と不安をあおる。
  2. 2:15 前話の引き。千早(前カノ)が春香(今カノ)に銃を向けた状況の再確認。

    <OPテーマ&CM>
  3. 6:00 千早(前カノ)の回想。後の修羅場展開を強調するための前フリ。
  4. 6:30 千早(前カノ)の前で、インベル(彼)の体の反応を無邪気に語りだす春香(今カノ)
  5. 6:45 春香(今カノ)が、インベルとのことをしらばっくれた千早(前カノ)の前で、インベルとの関係をのろけだす。修羅場シーン。
  6. 7:25 今回のクライマックスシーンに至るための状況説明
  7. 8:05 人造アイドルのマスター。クライマックスに至るための配置。
  8. 8:35 人造アイドルのマスター。「ネーブラがよわっちい」発言。真敗北フラグ。
  9. 9:30 亜美、ハーモナイズが落ちている発言。真敗北フラグ。
  10. 10:00 真出撃。真敗北フラグ。
  11. 11:45 人工アイドル出撃。真、火口に突入。BGMも緊迫感あるものに変更。真敗北フラグ。
  12. 12:30 真回想。真敗北フラグ。
  13. 13:05 春香(今カノ)、この間ずっとのろけっぱなし。千早(前カノ)、ついにぶち切れて今カノに銃を向ける。(お客さんが見逃しようのないショックシーン。OP直前のシーン[前話からの引き]をこのタイミングで回収! まさにベストタイミング)

    <Aパート終了/CM/Bパート開始>
  14. 15:30 CM開け。真、人工アイドルにおそわれる。真敗北。
  15. 17:20 場面を修羅場に。前カノの反撃。
  16. 17:35 真敗北。
  17. 17:55 不協和音。ヒエムス暴走。
  18. 18:15 千早転落。千早(前カノ)、インベルに見向きもされず。修羅場終了。
  19. 19:00 ネーブラ機能停止。人工アイドルに見向きもされず。(真完全敗北。クライマックス前に物語から真を実質退場させて物語をしぼる)
  20. 19:30 シミュレーション結果。グリーンランド沈没。クライマックスへ向けた前振り。
  21. 19:55 春香からの通信。春香、ここからようやく本筋に合流。(本筋ライン)
  22. 21:20 亜美から、春香とインベルのハーモニーが、みんなを救ってくれるという提示。
  23. 22:20 千早(前カノ)、ヌービアムで突撃。
  24. 22:30 人工アイドル、ヒエムス回収。アイスランド崩壊開始。(物語的クライマックス開始)
  25. 23:00 千早(前カノ)、空気を読まずにインベルと春香の一撃の前に立ちふさがる。春香(今カノ)に吹っ飛ばされる。(12話全体のクライマックス。修羅場ラインの”ドラマ”と本筋ラインの流れが、はじめて合わさったのはここ)
  26. 23:45 攻撃成功。ネーブラ回収。(13話の物語的な集結点。)
  27. 24:15 千早(前カノ)敗北。物語的にはヒエムス回収でトゥリアビータ側勝利。(ここも、修羅場ラインと本筋がつながって、次の話以降の伏線になっている。)
  28. 24:45 戦い終わって。次の話への引きとしての、真の状態。春香は、まったくそれとは関係なくインベルとラブラブ。(同上、ただしこのシーンは、真敗北のラインも加わっている)

時刻をで書いたのは、今回のメインドラマである、前カノと今カノの、インベルをはさんだ修羅場展開。
オレンジ色で書いたのは、真敗北展開。
で書いたのは、それ以外の、グリーンランド沈没、ヒエムス回収事件としての今回の話の展開。
三色に色分けしたように、三本あるドラマのラインごとに交互に山がつくられている。けれど、テンションを明確に下げるシーンが実質ない。
(CMをはさんでわずか7分間の、真敗北フラグの固め打ちっぷりは、まさに見事でした。)

※6/24/16:30補足 他のblog感想サイトさんをまわってみてハッとしたのだけれど、今回は真がよりにもよって機械である人造アイドルに負けたことによって「アイドルに心があるか(春香と真の対比)」問題が完全決着した話でもあったようです。たしかに、そのとおりなわけで、12話のバランスのよさに、あらためて感嘆。

あと、タイムラインを打っていってはじめて気づいたのだけれど、12話はほとんどずっと誰かが、しかも緊迫した早口でしゃべっています。沈黙の時間もほぼありません。
一話通しでほぼセリフで埋まっているのに、ガチャガチャした印象になっていないのは、本当に素晴らしいです。

こんなテンション作りをしながら、きちんと物語の内容がわかる。本当に、ムダがないということの大事さがしみるものがある。

今回、特に思ったのだけれど、『アイドルマスター』というのは、”男性不在に見えて男性がいる”物語だったようだ。タイムラインで千早(前カノ)、春香(今カノ)、インベル(彼)と表記したのはそのためだ。
つまり、基本的に男性客は、「インベルうらやましいな」と思っていると、春香と千早が自分を取り合っている気分になって気持ちよくなれる。春香の信頼も、千早の執着も、どちらもインベルに視点を置いていると、それぞれかわいらしく見えるように描かれているのだ。
たぶん、今の描き方の千早を見てウザく感じなかったら、それはうまくインベルを中心にした物語に乗れているということだと思う。
だから「すべてのアイドルには心がある」けれど、物語上、インベルのライバルはいない。ライバルがいるのは、あくまでもマスターのほうだ。つまり、インベルにライバルがいると、物語が現在つくっている中心のラインがたぶんブレるのだ。

これは、女性ばかりの世界をあつかった物語として、非常に秀逸な”男性の置きどころ”だと思う。なにせ巨大メカであきらかに人間ではないインベルは、お客さん的に決定的に嫌われることはそうそうないだろうから。

13話も、次回予告を見る限り、しっかり12話を引きずる様子だ。
本当に、素晴らしく安定している物語なので日記にあまりエントリは立てないと思うけれど、毎回たのしみに見ております。

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天元突破グレンラガン 11話『シモン、手をどけて』

個々のシーンで大勝利して、すばらしく爽快で、でも微妙に引っかかる印象の話だった。
つまり、個々の情報の処理はよかったけれど、全体のデザインとしてこんなに情報詰め込むのはどうなのよ?というクエスチョンマークが飛んだ11話だった。

それでも、技術的に言うとやっぱり高水準。
3本の大きい物語の流れ(ライン)を、破綻させずに使い切っていた。

  1. カミナの遺言を、はじめてシモンが理解して「シモンというひとりの男」として立ち上がった。(今回の物語の主線)
  2. 大グレン団のみんなが、シモンをリーダーとして認めた。
  3. ニアのキャラクタを確立させた。

わざわざこんな難しい話に新しい敵(不動のグアーム)を初登場させた理由は、たぶんふたつある。アディーネが性格的にからめ手に向いていないこと(今回の敵はいやらしくて下品であるほどよかった)、そしてお客さんが「シモンとアディーネの因縁の戦い」のように見ないよう誤解を避けるためだ。
つまり、使い捨てのように見せることによって、物語のフォーカスが当たっていない敵の印象を小さくして、お客さんにシモンとニアへ視点を集中してもらうという効果が出ている。

ラストの捨てられた姫たちの解決は、印象深いシーンだった。つまり、ただきれいだというのではない、理に合わない作り手の業みたいなものが出た、腹に残るシーンだ。
ここでやらなくても、これだけで話を一本つくるなり、大きい話の導入にするなりできたエピソードの、ぜいたくな投入だからだ。
それでも「ニアを『螺旋王の姫』という特別なものではない、ただのニアとしてキャラ的にひとりだちさせた」という印象づけとして、非常によかったと思う。

主線のクライマックスであるシモンの名乗りは、11話まで物語中一度もシモンに”これ”をさせなかったことで、「立ち上がったシモンの頼もしさ」を、うまく印象づけている。
8話でカミナが死んでから、回想シーンの中で、まともにカミナが登場したのも今回がはじめてだ。
つまり、出し惜しみして決定的なところで「観客がみんな会いたかったカミナ」の登場で流れを作り、そのまま必殺技の”狙って撃った”初披露までどとうの展開で燃焼しきってしまった。
本当に、カミナの回想から必殺技までの流れは素晴らしく爽快だった。

ラガンに空をとばせたのは、一話での天井をぶち抜いて空を飛んだあのカット以来だ。やはり「新しい局面に入った」シモンの物語を印象づけるためのイメージである。
このとき、ニアにシモンのぼろぼろになった”手”を見せたのは、生身の身体を意識させるカットだ。人間関係のスタートの切り方としては、ニアとシモンに、ちゃんとした恋愛をさせることを射程に入れている様子だ。
このあたりの展開は、本当に構成的にうまい。

これだけしっかり丁寧に作り込んでいて、それでも全体デザインに引っかかるのは、「シモンのひとり立ち」のラインと、「ニアの確立」のラインが、動機が似ているようで重なってないせいだ。
この流れなら、10話段階で、「ニアが人形である」という話をシモンに聞かせる展開を、一週間ちゃんと頭に残るように印象づけていてもよかった。2本のラインを前もって重ねておかなかったのは、けっこう痛恨のミスなんじゃないかと思う。

「人形」よばわりされるニア。「俺が信じる俺を信じる」最後まであきらめないシモン。
”ひとりの人間として立つ”ということでは似ているのだけれど、こうして並べて冷静に見ると、ふたつの問題は別モノだ。

そのふたつの問題を、それぞれ忠実に強調するシーンが作られているから、情報の詰めこみ感が出る。
本来もっと燃えられる場所で、二種類の燃料が交互にくべられることが、必要以上に物語をめまぐるしくしてしまう。
ジャンルのマニアやコア層を意識した作品の常ではあるのだけれど、”作りたい見せ場”をつめこんでしまうことも状況を加速している。そのせいで、せっかくしっかりした細部を、見る余裕がなくなってしまっている。
整理をしないと、情報量が多いタイプの物語は、バラけてゆく一方になってしまうのだ。

ニアとシモンのラインの混乱には、もうひとつ引っかかりの根がある。
そもそもシモンは、話の流れ上、自分の問題を解決したのであってニアのことを心配して助けにきたわけではない。
物語的要請で、「女の子が助けを求めている、だから彼はやって来た」という理屈以前のところをかなえた。だから、爽快だった。だが、理にはかなっていない。
(そもそも、勢いで流れてはいるが、ニアが大グレンの艦橋にいることだってシモンは知っているはずがないのだ。)
『グレンラガン』は理屈で見るアニメではない。そうかもしれない。だが、螺旋王の”人形”の話のように対象年齢層が高い話も同時にやっているから、やっぱり多少は引っかかるのだ。

本当に、物語を作るのはむずかしいなと思う。
これだけのデメリットを背負っても、二本のラインを並行する複雑な構造には、大きい意味があったからだ。
「シモンのひとり立ち」「ニアのキャラクタの確立」を同じ話でやったこと自体は、本当にうまい。
9話から登場したばかりのニアが、たった3話で、すでにメインヒロインの位置をかっさらっているからだ。
”ヨーコの株を落として相対的にニアをあげる”ことなしにこの納得感をつくるのは、やっぱりしっかりしたレベルの高い仕事なのだ。
これから”シモンの物語”としてグレンラガンが進む限り、男・シモンのひとり立ちを後押ししたニアの位置づけも、どうやら不動なようだ。
ニアの立たせ方との妥協点でベターなものを選んだのだろうけれど、本当は「ニアの物語」と「シモンの物語」の動機がきちんと重ねられたらベストだったというのは、事実だと思う。

ひとつひとつのシーンやディティールに支えてもらってはいるけれど、シナリオの骨格は、バランスが悪かったと思う。
本当に、この詰め込み方は、へたな監督がやったら不完全燃焼で終わるか空中分解かだったのではないだろうか。

総合メディアとしてのアニメーションの、強さとこわさを同時に見た気分の一話だった。

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天元突破グレンラガン 10話『アニキっていったい誰ですか?』

今回も安定してよいデキ。
『グレンラガン』の雰囲気作りが、繊細に注意を払われていることが、安定の核にあるように思う。

今回の10話でいうなら、シモンにアニキのことを語らせるシーンを、あえて晴れた日中の甲板を背景にして進めたあたりは、本当に素晴らしい。
そうすることによって、観客の中にカミナのイメージを想起させることができるからだ。
それによって、喪失の衝撃にただ混迷していた9話に比べて、10話では落ち着いてもなおしみてくる悲しみを拾うことができている。
本当にこの追いかけかたは丁寧だ。カミナはスタッフにも愛されていたキャラクタなのだなと思えて、観客的にも胸にくるものがある。

カミナは、荒野が似合う風のような男として描かれていた。
シモンはどうも、暗い穴の中から、それをぶち破り外へと突破する男として対比されているようだ。
つまり、「シモンにとって本当にだいじな戦いは”暗闇の中”で行われる」というイメージになっている。そして、暗い天井をぶち破って、広い世界、明るい世界を目の前にひらくことが、物語が彼に期待している勝利であるように見えるのだ。

今回、動かないラガンを蹴っていた、あのカット以外に主役メカであるラガンとシモンのカットはひとつもない。よくよく考えてみると、これはとてもセンスのある選択だ。
たぶん、10話をふつうの感覚でエピソード配置すると、「カミナのイメージ」「8話までの物語のイメージ」だった晴れた荒野と対比するために、シモンを暗い場所で悩ませていたんだろうなと思う。ラガンを動かそうとして失敗するシーンだって、この話の流れなら、本来は話の前半でほうりこんでおくほうが、むしろ定石なのだ。
それが、今回の10話では、徹底して「カミナの思い出話」を日の当たるところでする展開を続け、シモンを暗闇に置かなかった
シモンが暗闇にいたのはわずかに2カット。

  1. いちはやくニアの危機に気づき、ラガンに乗り込もうとして失敗したカット。(その後、シモンは生身で彼女を救いに”暗闇から明るい場所へ”飛び出している)
  2. 10話ラスト、それでもアニキのことを暗い部屋で引きずり続けるシモンと、彼自身の勇気を”明るい場所”でほめるニアを描いたカット。(現在物語中でシモンが抱えている問題と、それがニアにからんで解消されることを暗示するカット)

どちらも、10話でもっとも重要なキーになるシーンである。

昨日、『リリカルなのはStrikers 10話』の感想エントリでも書いたが、物語が情報にかけるアプローチには、”足し算的な性質”を持つものと”引き算的な性質”を持つものがある。
引き算してシーンのキメ止まりをあげるということは、つまり「シーンを整理する」ということでもある。
『グレンラガン』は、この”整理”において、よくできたものの多い今期アニメの中でも、頭ひとつ抜けている。

ただ、またイヤなこと言うなあという感じではあるが、気になるところもある。
アイキャッチやらいろんなところに”ニア色”を出している演出と、バランスを失いかけていたことだ。
カミナを引きずりすぎず、「物語は新しい局面に入っているよ」と指示するためなのだろう。
けれど、これをやるなら、物語本編では、ニアと対置されるヒロインであるヨーコにもっと印象を集める必要があったと思う。実際、見せ場はあったのだけれど、ライフルでニアを援護するときに「ヨーコらしい、彼女にしか言えない一言」がなにかあると、よりよかった。
ニアは、現在物語として破格の立ち位置をもらっている、性格的にもある意味無敵キャラだ。だから、ヨーコは相当がんばらないと、物語上の居場所がどんどん削られて”旧ヒロイン”になっていってしまうのだ。
このあたりはストレートに、「セリフの力が、ニア中心の演出に負けた」状態だと思う。

ともあれ、ヨーコに大事なところで大きなセリフがなかったことすら「シモンに物語の焦点と印象をあわせるため」という理由はあるわけで、やはりレベルの高い仕事だ。
本当に、ガイナックスも、これだけのクオリティを維持する能力があるなら、もっとガンガン仕事してくれるとファン的にはうれしいのにと、これはすなおに思う。

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天元突破グレンラガン 9話『ヒトっていったい何ですか?』

『グレンラガン』7話、8話の展開は神がかっていた。
それまでの地上の荒廃した様子を描いていた展開を、たった30分で一気にクライマックスのテンポへ急変させてしまった7話。
そして言うまでもなくこれまでの”シモンとカミナ”のドラマの絶頂だった8話。
この先どうするのかと思ったら、9話は完璧にそれを受けきって、次なるおおきな展開へつないでしまった。

前半はひたすらシモンの空回りとバラバラの大グレンの様子を描き、カミナという男の喪失を描くのに時間をかけた。後半は、きっちり同じ流れを引きずりながら、新しいドラマの展開をひらいた。
こうやって書くと簡単だけれど、問題はそんなに単純ではない。
シーンひとつひとつに”換えがきかない”ため、それぞれ本当に必要なことを、描くべきときに完全にやりきらなければならないからだ。

絵的なイメージとして前半は長い長い雨、ニアに出会ったそのとき空から光が差した絵作りのトータルイメージもいい。9話でのカミナを失った落ち込みと、新しい物語をひらく新しいヒロインの登場のターニングポイントとして、印象的なものになったはずだ。
シモンの落ち込みに正当性を持たせるために、8話でシモン自身の弱さが”アニキの死”という結果につながったこともきいている。
そして、8話冒頭でシモンをヨーコにときめかせたのもいい。「女性で揺れて、女性で立ち直る」というのは、男性客にとっては納得がいく流れだし、新ヒロインのニアの役割も『グレンラガン』全体の中で明確になるからだ。
そして、9話ラストでは、まだカミナを失ったどん底は「ラガンの変調」というかたちで強調され、復調のきざしすら薄い希望でしかない。
『グレンラガン』という物語全体を見ても、カミナの存在を、喪失のあとも大きくあつかい続けていることには大切な意味がある。

実際、いつかは『グレンラガン』という物語は、カミナを置いてさらに遠くへ行かなければならないのだけれど、そのときのため印象は残していなければならない。
主人公シモンと一緒にお客さんに旅をさせる物語だからこそ、振り返ったときそこに残っている思い出は、キラキラしているように描かれきっている必要があるのだ。

7話、8話、9話の展開のなにが神がかっていたかというと、結局ムダなシーンをひとつも作らなかったことだ。
脚本の中島かずき氏の手腕は、アニメーション脚本以上に(実際に人が動くうえセットにより背景の制約がある)舞台脚本の人だけに、さすが、本当に確かだ。

必要そうなシーンを全部作ってしまって詰め込むのではない。
本当に必要なものが何なのかをしっかり考えて、描くべきものをまず絞る。そうすることで、シーンも物語もすっきりまとまって、結果的に伝えたいものを締まったかたちて提示できるのだ。
逆に言えば”換えがきかないシーン”を作るためには、あまりせこせこシーンを切り直しているわけにもいかないのだ。情報を増やすと、印象的になるべきものが、そこに埋没するのだから。
「物語をシーンで構成する」ということは、つまりこういうことなのである。

行程的に言うと、こうなる。

  1. 30分なら30分と決まった尺の中で、なにを描けるかを考える。
  2. この話でやりたいこと、前後の物語の流れからやっておくべきものをきっちり考えきる。
  3. それをどう配置すればいいかを練って練ってベストなかたちを探す。
  4. それを最後に物語のかたちにまとめて、統一をとる。

物語づくりの基本の部分なのだけれど、これはそうそうやりきれることではない。いや、いい加減になってしまう。
なぜかというと、かけられる時間は有限で、4行程踏まなくても同時並行して1度にできてしまうからだ。
けれど、きっちりやっているモノとの間には確実に差が出てしまうのだなということを、うんざりするほど明確にしてくれた7、8、9話だった。

実際には、ひとつおおきな山を作った後の「次への移行期」というのは、苦労するものである。
次に置くものは刺激として盛り上がりきらず、かといって前の山を捨ててしまうと、余韻もなく、物語全体としての物語の積み上げも弱くなる。

これを、ドラマ的要請で8話の山をつくりきったあと、9話で、「設定的要請としてお客さんにこれまで秘密にしてきたことを一気にあかす」という別種の山をつくることで、のりきらせた。
これが、どういう効果を働かせたかは、実際、今現在、お客さんの中にはいっている印象を胸の中に聞いてみたらいいと思う。
カミナのことは印象に残っていても、ヴィラルのことはそこまで印象に残っていないはずだ。この効果をきわだたせるために、9話前半の”大グレン団”視点のシーンでは、8話で名前を出した螺旋王たちのことに一切触れていない。
そして、『グレンラガン』世界の中でのカミナの位置づけを考えたとき、彼は実は「ヴィラルと互角」(8話)の人でしかないのである。
そういう組み立てを持つことで、お客さんの中でセリフも説明もなしで「物語は一段階おおきなステージに立ったのだ」ということを提示してしまったのだ。

ハリウッド映画などでよく使われる三幕構成をものさしにすると、7話から8話の展開が第1幕のクライマックス部にあたる。
(三幕構成については、興味のあるかたはこのあたりでも参照してください。下の方が三幕構成の話)
8話の、カミナ死亡が確定したあたりが第1幕の切れ目になるターニングポイント。
9話からが第2幕の開始になる。
日本のアニメーションは、13話1クールの切れ目のところで物語を切ることが多いので、めずらしい構造を持っていることになる。
たぶん『グレンラガン』の全体構成的に、13話付近には、ミッドポイントが発生することになる。かなり大きな転換点になるはずなので、どういうものを持ってくるのか楽しみだ。

おそらくカミナと同じ役割にたつキャラクタを、『グレンラガン』はつくらないだろう。
9話からの新オープニングのラスト、シモンが腕にマントの切れ端を結ぶそのカットが示すように、その喪失した穴はシモンが埋めてゆくものなのだ。
そして、8話のあの盛り上がりの中、カミナが最後にくりかえしてお客さんに提示したセリフが、これからも大きく立ち上がってくる。
「俺が信じるおまえでもない。おまえが信じる俺でもない。おまえが信じるおまえを信じろ」

本当に、成長物語の”アニキ”の描き方として、カミナの位置づけはすばらしかった。
それは完璧な理想像ではない。カミナがひるんだり汗を流したりするシーンは、実際よく描かれている。
その彼が遺したことばにたどりつく過程ですら、シモンを認める、つまりカミナ自身にとっては自分の限界を知る過程の中のものだった。(7話)無言で、よき”アニキ分”としてそれにカミナは対面し続けた。
そして常に、シモンと同じようにおそれ、そして”カミナなりの方法で”シモンよりちょっと前向きな彼なりの答えを出してきたのだ。
そんな弱さが描かれているからこそ、シモンはその背中を追いかけてゆける。そして、その道はいつしかカミナではなくシモン自身の道であり、同じ道を”アニキ”といっしょに歩いていることを知るだろう。
”成長の物語”として、『グレンラガン』のデザインは卓抜している。

本当に、アニメーションは集団作業だとはいうけれど、それはつまり「いろんな方向からの高い能力が、集まってひとつのより素晴らしいものをつくる」ということなのだ。
それは理想論でしかないのだけれど、『グレンラガン』は今のところ、そういうものをお手本のように見せている。

見事な仕事というのは、そうあるものでははない。
いつもは話が終わるとさっさと別作業に移っているのだけれど、この9話を見終わったあとは、録画ファイルが終わるまで画面の前から動けなかった。

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アイドルマスター ゼノグラシア7話『ただいま、おかえり』

朝からグレンラガン8話の致命的なネタバレを見ちゃって鬱。
「ココログでは、一行目がブログのカテゴリ検索で表示されるので、ここでネタバレをかますと不特定多数にネタバレ爆撃することになる」と学習。ひとのふりみて我が振りなおそう。

第七話は、前話の強烈な引きを冒頭からスッとばし。
でも、今回扱っている話は「負けた春香が立ち直るまで」が中心なので、前話で20000メートルから地上へぶん投げられて、どう生き残ったかは、山場にしなくて正解といえば正解。
どう考えたって、吹き飛ばされて花がとんできたラストカットは、冒頭に救出劇をやった場合は、盛り上がりで負けるわけですし。冒頭がよくてラストが地味より、ラストに印象を強くしたほうが印象はいい。たしかにそのとおり。

あと、現状では真が無愛想に写っているけれど、救出劇をやっちゃった場合には絶対こっちが格好良く見えちゃって、地上で待つしかなかった伊織より目立つわけです。
すると、病室前で悩んでる伊織にも観客的には「いやさっさと入れよ」と言いたくなるわけで、デコをかわいく見せるためにも、現状が正解。
起こったできごとをあったように見せるのではなく、限定した枠にはめて魅力的に切り取るのが、たぶん時間や資源に限りがある物語の、演出的な正解。

こういう本来の見せ場をすっ飛ばす思い切りは、あつかえる作画枚数なんかに限りがあるからこそだ。
本当に勇気があるというか、脚本の花田十輝氏は地味にうまい。

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ギガンティック・フォーミュラ7話『閃光』

ココログ一発目の記事は、録画していたアニメ。

タイトル通り”淡々と”行きます。

最初は、キャラクタ年齢が(おもにキャラデザの頭の大きさと肩幅の比のせいで)ずいぶんわかりづらいなあと思っていたこのアニメ、なんで年齢を感じないかずっと引っかかっていたのだけれど、ようやく判明。
学校生活みたいな日常をほとんど書いていないからでした。

そして今回の7話は、やっぱり生活実感の薄いエジプトvsギリシアの話。
パンを食べられないくらい貧しいとか、子ども達が学校にかよってないとかいっても、さすがにこれだけ現実よりも平和そうな世界ならそこまでひどいことになっていないと思うのな。だって、通常軍備ではなくて一機だけでかえのない巨神像にリソースを振り分ければ、ほかはずいぶん楽になりそうだし。
ていうか、そのためのギガンティック同士の戦争じゃないのかなあ。

ギリシアパイロットたちの、海中で腕が力無く藻みたいに揺れてたカットには、ちょっと、くるものがありました。6話がまるまま伏線だったこととがわかったドンデン返しの感覚のまま、サックリ投げっぱなしにしてしまうのが、またうまい切り方。
このイメージ一発の印象で、7話はいいエピソードだったみたいに見えちゃうんだから、映像の力というのはおそろしい。

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