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(映画)「ブレイブ ストーリー」

ずいぶん長くHDDのこやしになっていたものを、今さら鑑賞。

評判はあまりよくなかったし、これのDVD売り上げの悪さがGONZOを傾かせたとも聞いていたので期待していなかったのですが、いいところはすさまじいです。
以下、ネタバレ全開なので、ご注意。

2時間も気合いの入った映像を見ると、さすがにいろいろ出てきます。文尾がぐちゃぐちゃだったり、読む人にやさしくないテキストですみません。

しっかしまあ序盤の流れはすごいです。
原作は未読なのだけれど、さすが宮部みゆき氏という容赦のなさ。
けれど、子どもが扉を越える妥当性としてはすさまじいつくり。
しかも、「子どもが子どもらしい動機で」扉を越えて異世界に行かせてしまった。
おかげで、異世界に行くというおおきな壁を越えてしまった子どもが、「子どもらしい動機で」行動し続けることができる。
ここの、物語展開への可能性の残しかたは本当にすごいと思う。

惜しむらくは、異世界に行ってからの「おためしの洞窟」の展開が唐突すぎること。
舞台が”ファンタジー”になったとたんに、扉を越えるまでのスムーズで妥当だったドラマの流れまで、”ファンタジー”になってしまった。
実際、絵作りがファンタジックであるわけで、あんまりキャラクタの動きや感情の流れが現実的だとまずいわけではあります。台詞まわしが現実的になりすぎると、ファンタジーの絵の中で現実が動いているようで、ファンタジーらしくなくなってしまうので。

というか、こういうあたりの断層をうまくわたる方法ってのは、ファンタジー作家の技術なんだろうなと思います。

『ブレイブストーリー』に限らずですが、ファンタジーで描かれる人間描写は、シビアです。
最近だと土曜日の朝にやってる『デルトラクエスト』あたりでも、話の中に流れているものはシビアです。けれど、そこは”離婚”とかいうかたちの現実的な人生のシビアさではなく、ファンタジー世界ならではのシビアさだったりする。

どうちがうかというと、ファンタジーの場合は、少年が世界や悪に出会いそれと戦って成長するためのシビアさが描かれます。
けれど、これが現実的な”離婚”だったり”心労で倒れた親”なんかだと、これが解決してもストレートに少年の成長には”絵的に”つながらないわけです。
だから、ファンタジックな試練のかたちとして、『ブレイブストーリー』でも、少年が投獄される展開なんかがある。このあたりでの心情の動きなんかは、現実的ではなくファンタジックなものです。
こういう断層、このあたりの動機と試練の性質のズレを、小説でどうなっているかはわからないのですが、映画では曖昧なまま流してしまっているなと。
そのあたりが、『ブレイブストーリー』の、映画のノリにくい理由なように思えました。

音楽や絵が素晴らしくて、宝玉を探している旅をしている感は、かなりいい感じでした。
異世界ファンタジーは、やっぱりこうだよなという楽しさ。
ただ『ブレイブストーリー』という作品の流れの特徴のようだけれど、やっぱり現実のシビアさが入ってくる。たとえば猫の女の子の、家族がばらばらになったところなんかもそう。
ファンタジックなシビアさと、現実のシビアさは、やっぱり併置してはいけなかったのではないかと思います。どちらかを明確に”主”に置いて、そちらに吸収させるべきだったかなと。
ふたつが同じように配置されているおかげで、『ブレイブストーリー』における”試練”は、ファンタジー(寓話的)なものなのか、現実的なものなのかがわかりにくいのです。

これがなぜ問題になるかというと、試練の解決法がちがうから。
”ファンタジーな試練”は「やっちゃえ」とぶん殴って解決できる。だから、もしも「殴って解決しない」ことを主人公が選んだとしても、それは主人公があえてそれを選ばなかったからということになる。
”現実の試練”は、観客の一般常識を引きずるので、物語的にも殴って解決が無理です。だから、もしも「殴って解決しない」ことを主人公が選んでも、それはそうだろうとお客さんに思われる
ここが観客的に今、どっちなのかわからないと、主人公をどっちのテンションで応援していいかわからない。

映画でつくっている絵からすると、現実を”従”にして、基本的にはファンタジーのほうに吸収すべきだったんじゃないかと個人的には思います。
ワタルの父を、”ワタルに似せて、かつ子どもっぽいことを言わせたりするのは、本当に趣味が悪いというか現代劇の作家さんらしい物語の見せ方だ。
『ブレイブストーリー』自体、ファンタジーの境界のあっちとこっちを頻繁に揺れる物語だ。
けれど、それだけに本来、どこを境界にするか自体が芸でないといけない。アニメーション化するのにずいぶんむずかしい題材を選んだものだと、正直、思います。

しかも、重要な要素なのに、”魔法”の原理や性質などを一切説明していません。
この選択は、『ブレイブストーリー』の対象ターゲット層が3~5歳程度以上からの子ども層なのだと考えれば、妥当なところはあります。
けれど、それでもやっぱり世界とドラマの統一感を取るためには、伸縮性のある物語ガジェットとして魔法は利用しておくべきだったと思います。

ブレイブストーリーを、鑑賞した後、感想をまとめていて特に思ったのは、対象年齢層がよくわからないこと。
対象年齢層があいまいすぎるというか、対象3歳以上みたいな映画をつくるには、原作の”見せ方”がむずかしい話を選んじゃったと思う。
テーマ自体は、子どもでもわかると思う。でも、ワタルとワタルの父のくだりとか、そのテーマを見せるための”見せ方”は、子どもが理解するのは相当難しそう
”もうひとりの勇者”として、世界自体を道具とわりきったミツルも、これが悪役だと思われてしまうと、物語ラインを読み取り損ねるキャラクターです。
ここの、ワタルの父と、ミツルの妥当性に感情移入するとしないとでは、物語に対する感情移入がちがう。
でもここは、「家庭や夢の重さ」を感じたことがあるおとなの観客じゃないと、たぶんつらい。

けれど、そこの感情移入がないと、この物語が”まっすぐな物語”に見えないかも知れない。
でも、”まっすぐな物語”だとして見てもらわないと、作り手的にはたぶん寂しい物語かなと思ます。

魔法の説明を入れればどうにかなったという問題ではなかったかもしれません。
けれど、その、まっすぐさを指示する道具(ガジェット)が、どこかであるとよかったなあと思います。
この物語ラインの指示を、明示ではなくてキャラクタの動きや物語の流れの”見えない線”でやるのは、小説としては上等なやりかたです。
けれど、これを映像で語るアニメ的に上等な語り口にのせたことで、観客が読解するのもむずかしくなっている。

だから、うまいし、映画を見ていると物語もわかるけれど、”燃えられない”ものになってしまっている。感情移入がむずかしくなっているのだなと。
物語にとって”わかりやすさ”とはどういうものなのかを考えたとき、映画版『ブレイブストーリー』は、とても難しい問題をはらんでいると思います。

やっぱり、クライマックスのためのとっかかり(第二ターニングポイント。前の『リリカルなのはstrikers 12話』のエントリですこし触れた「ピンチⅡ」)に”ミツルの両親の心中”を持ってくるのは、ハードだなと思います。

たぶんミツルの背景が”事故”ではなく”心中”なのは、ワタルのお父さんの「俺は俺でいたい」的なわがままを突き詰めた先にあるものだからです。
”願い”のおそろしさと罪というライン(現実を受け入れる勇気というテーマ主線)では、ワタル-ミツル-ワタルの父-ミツルの両親は、一直線にならんでいる
ミツルの妹は救われるべきものとして置かれているが、ミツルは心中事件で失った家族のうち、妹以外のものを救おうとはしていない。
これは、「生きていることには悲しいこともある」というワタルの答え(物語のこたえ)は、本人の意思にかかわりなく殺されたミツルの妹を救っていないせいです。
願いとその罪にかかわるラインの中で、ミツルの妹は無罪だ。そして、だからたぶん物語は最後に彼ら兄妹を救ってしまったのだと思います。

実際、対象年齢層3歳以上にするなら、”物語上、外してはいけない重要要素”に、心中がはいってしまう原作を選んだのはどうかと思うわけです。
しかもこの心中の位置づけも、心中自体が”否定できない現実”というかたちで読む必要がある。だって、物語の答えとしてワタルが出したのは、そういう答えなのですから。
それは、子どもの理解力で理解してもらうのは、けっこう厳しい。原作小説は単行本三冊組だけれど、それこそそのくらい尺をとった果てでないと、子ども的にはしんどいかもしれません。

クライマックスの”黒いワタル”が、”ワタルを捨てた父親の幻像”と似たことを言っていると理解してもらわないと、物語を統一するラインが一本に見えない流れの物語なわけで。
映画のこの書き方で、子どもにこれをきちんと読み取ってもらうのは、けっこうしんどいかもなと思います。

ただ、物語展開としては、非常に美しい。
つまり、物語が与えた「物語の動機=なぜワタルは異世界ビジョンに来たか」に、クライマックスの運命の塔で答えをあたえる展開になっている。
ただ、ここが、容赦なかった序盤の物語温度になっているので、途中のファンタジーっぷりとズレが出ているような気はしました。
たぶん、本当はここで、物語は、”ファンタジーの試練””現実の試練”をひとつに合わせなければいけない展開だったと思うのです。
これだけよく計算された物語の評判が今ひとつだったということは、たぶん観客的に「頭ではわかるけれど、心情的にノれない」流れになってしまったのかなと。

そして、「ワタルの答え」によって、ファンタジー側と現実側の試練を揺れ続けた物語は、現実側の試練によって吸収されます。ファンタジーの定番である「行きて帰りしものがたり」のかたちをきれいに踏んでいるわけで。
参照:<行きて帰りし物語>(とてもわかりやすく書かれているサイトがあったので、興味があるかたは)

物語としては、落ち着く場所もとてもきれいです。
そして、現実側の試練を乗り越えたワタルの前に、最後にあらわれる試練は、ビジョンで最初に出会ったカエルだ。彼の選択が”試練に遭っているファンタジー側”の世界を救う。
それはファンタジーの文法を結果的には踏んでいる。

つまり運命をうけいれる”勇気の物語(ブレイブストーリー)”である。

なんか平仄(ひょうそく)の合った物語だと思ったら、これ大河内一楼(『プラネテス』『コードギアス』)氏の脚本なのですね。
評判が良くないと言われているラストの奇蹟も、運命の女神の粋な計らいとして面白く見れました。
実際、これ、ラインがきちんとつながって見れていたお客さんにはボロ泣きのラストシーンだったと思います。ここが”台無し”に見えてしまったお客さんが多数出たというのが、正直、つらいなあと個人的には思います。

ガイドをしっかり出さないと、読解がむずかしいというか、物語の個々のラインに相当ノリにくいみたいですね。

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